国道45号線。「岩手の釜石の出なの?。ああ、45号線でよく行ったよ、釜石の新日鐵。曲がりくねって、上り下りが多くてなぁ、走りづらかった。砂利道だったし」とは日本製鐵釜石(旧新日本製鐵釜石)へトラックで荷物を積んで走った古株の運ちゃん。45号線を北上した営業マンは「冬は、スパイクタイヤをトランクに積んで、峠のふもとで雪があったら履き替え、苦労したよ」。今から、四十数年前、仕事で45号線を走ったことのある人が思い出を語ってくれた。昭和三十年代、四十年代は岩手・釜石の新日鐵全盛期で関東方面から多くの人、物が45号線を往来した。色々な困難があったようだが、最後には皆、口を揃えてこう言った。「でも、景色は良かった。海もよく見えたし、山も綺麗だった」と。今、カワサキ Z900RS SE Yellowball イエローボールで走ると景色は防波堤で遮られ今一つ。
国道45号線、ウィキペディア(Wikipedia)から引用させていただくとーーー1963年に一級国道45号として指定された当時は八戸市 – 仙台市間だけで延長507.4 kmにもおよぶ長大路線で、一部区間では車両通行が不可能だった。総延長は国道58号に次ぐ2位。1972年完成の一次改築によって同区間は411.2 kmまで短縮され、所要時間も5時間以上短縮された[1]。
岩手県下閉伊郡岩泉町の小本地区の中野峠には最大10 %という急勾配と急カーブが2 kmにわたって続く当線最大の難所である中野坂[注釈 1]があり、特に久慈方向から宮古方向は非常に急な下り坂で[注釈 2]途中に3箇所、久慈方向からの緊急避難所がある。さらに、久慈方向からの降坂車が制限30 km/hを超えた場合、従来の電光表示と併用して警告音を大音量で鳴らす特殊仕様オービスもある。これを改良するため、三陸北縦貫道路整備の一環も兼ねて中野バイパス(現・岩泉道路)の整備[2]が行われ、2010年11月28日に開通した。
国道45号は、中野坂以外にも、リアス式海岸の段丘部と市街地や港のある低地とを交互に通過するため、段丘を上り下りする急坂やカーブが多いーーー。
ウィキペディアの文中、「降坂車が制限30㎞/hを超えた~」とあるが、釜石市・松原を起点とする国道283号線の仙人峠にも同じような特殊仕様オービスがあった。遠野方面から仙人峠を上り、仙人トンネルを下ると最後の坂にそれはあった。三十数年前、45号線の中野坂を通った時、「おっ、仙人峠と同じ速度警告灯がある」と思ったことがある。仙人峠にも急坂道でブレーキが利かなくなった時に非常用に逃げる(突っ込む?)『緊急退避所』もしくは『緊急避難所』が二か所ある。その構造は、下る進行方向に対して左手にあり`砂‘が敷き詰められた50メートルほどの急な上り坂といった感じだ。
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