ミスター・バイク Mr.Bike その③・・さらばゼロハン・スポーツ!。僕たちは良い時代を生きて来た。

バイクetc.

「おい! そこの50㏄とまりなさい‼」。なつかしいなぁ。突然、後方からサイレンの音。拡声器でこういわれて止められる、怒鳴られる。後ろにはいつの間にか赤色灯を回している白バイかパトカーが。ちょっと恥ずかしい。こういわれる事はもう無いし、そういう経験をすることも無いだろう。目撃する事も無いだろう。バイクのゼロハン。正確に言えば、原動機付自転車。50㏄のバイク。1980年代、バイクの生産台数は最盛期だった。空前のバイクブーム。ブームの主役は、50㏄の原動機バイク。野郎はゼロハンスポーツで「若さ」を爆発させれば、ギャルはスクーターで「キャピ、キャピ」走った。何故、高校生を中心とした年代がバイクに乗ったかと言えば、「行動範囲が広がる」からだろう。出店数が伸び始めていたコンビニ、ファミレスと集会できる場所、たまり場への集合時にはバイクは便利だった。そういうこともあり、高校生を中心としたバイク乗りが増え、80年代は、バイクの全盛期でもあった。

いやいや、木の枝にHondaのハンターカブを吊るす。やっぱ、ミスター・バイクだ。

バイクに乗るのもステップ・アップがあった。それは、原付免許を取る、中型免許を取得する、大型の限定解除に受かるといったもの。入学した高校が原付免許は基本は取得してはダメで許可制だった。気が弱い僕は、学校に内緒で免許を取得するような事はせず、卒業してから中型免許を取った。「原付は、中学、15歳で取った。視力検査だけで免許が貰えた」というおじさんがいた。調べたら1960年までは、申請すれば試験なしで原付免許が交付されていた。そして、教習所に通い検定に受かると乗れるバイクの排気量は無制限だった。ところが、事故の多さなどの理由から免許制度は細かく分類され、16歳からバイクの免許が取得できるように法律は厳しくなっていた。その一方で、50年代、60年代高嶺の花の50㏄バイクは、高度経済成長の恩恵を受け普通の人でも購入できるものに。1981年頃、確か首都圏のバイトの時給は500円ぐらい。夏休みにバイトを目いっぱいすると31×500=約15万円。ヤマハの`スーパーフィフティ・RZ50´が新車で17.6万円。高校生でも手が届く金額だった。

アイキャッチ画像のミスター・バイク・1981年8月号。ZEROHAN IS THE BESTの記事中のゼロハン・データバンクから引用させていただくと「50㏄というカテゴリーで、これだけのバリエーションを持つのは世界一。63機種、85タイプ、4サイクルあり、2サイクルありでユーザーにしてみればうれし涙の洪水ってもん」とあるが、その通りだろう。その後、ひと月に一台、新車が発表される空前のバイクブームが沸き起こり、50㏄バイクからナナハン(750㏄のバイク)まで各排気量とも種類が増加した。いやー、雑誌を見ているだけでも楽しかったなあ。種類が増えすぎて車名を覚えるのが馬鹿らしくなったけど…。

バイク乗りとしては、幸福な時代に生きたと思う。もう日本のメーカーは内燃機関、すなわちエンジンを駆動源とする50㏄バイクは造らない。電動化の波が押し寄せつつある現在、エンジン車の種類は減少していくだろう。バイク人口減少と相まってバイクそのもののバリエーションが減っていくのは如何ともしがたい。バイクに憧れ「行動範囲を広げた」若者は、仲間と一緒に走ったり、一人でバイクで出かけたりと色々な体験をした。しかし、現在ではアイキャッチ画像の写真のようにバイクを前にして高校生が話し込むということは見られない。木の枝にバイクを吊るすという馬鹿げた事をする人も雑誌もいなくなった。

良い時代に生きた…いや、まだ生きている、カワサキ Z900RS SE Yellow Ball イエローボール(綽名:Lucky Ball)で走っている。

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